足利事件 冤罪 なぜ

1997年のDNA再鑑定の請求から2005年の公訴時効成立までの間に司法がDNA型再鑑定請求を認め、再審が行われていれば、その時点で菅家の無罪が確定し、事件の再捜査も可能だった点も指摘されている最初の有力な目撃証言に基づく捜査を打ち切った正当な理由についても警察当局は明らかにしていない。目撃証言については、近年の清水潔による調査報道を受けて、菅家の自白と矛盾するということで事件とは無関係とする警察の見解もあるが、通常の捜査であれば、反対に有力な目撃証言と矛盾するから菅家の自白は虚偽(強要された)と判断するところである。そもそも目撃証言に基づく捜査は早期に打ち切っているので、打ち切った正当な理由があれば、菅家の自白と矛盾しているとする旨をわざわざ警察発表でする必要もないはずのものである。 栃木県足利市で1990年、当時4歳の女児が殺害された「足利事件」で無罪が確定的となり釈放された菅家利和さん(62)と、元死刑囚として初の再審無罪を勝ち取った福岡県大牟田市の免田栄さん(83)が5日、面談し、冤罪(えんざい) 4 事件の流れ

... 日本の司法が再生できるかどうかを問う事件の再審の重い扉がやっと開かれ、無実の罪で異国の獄舎に15年も閉じ込められていたゴビンダ氏が、家族と一緒に帰国できたことをまず喜びたい。この思いがけない決定が出た背景には、最新のDNA鑑定の結果、冤罪(えんざい)が確定して釈放された足利事件の菅家利和(※1)さんや、誤審が明らかになった布川事件(※2)、さらには厚労省の村木厚子(※3)元局長に対する大阪地検特捜部の証拠改ざん事件など、司法の信じられない不祥事の連続がただならぬ危機意 … 足利事件と取調べの可視化(取調べ全過程の録画)」,「第4 弁護活 動上の問題点」,「第5 裁判所の問題点」,「第6 今後の冤罪を防止 するために」からなっている。 ★【足利事件と太田の横山ゆかりちゃん事件】 →調査を始めた早々に連続性を認める。同一犯だ。だから菅家さんは冤罪だ。 俺様氏の疑問 「ゆかりちゃん事件も、今市事件と同様に、足利事件と紐付けできる要素ってそんなに無いよね? 日本テレビ報道局の清水潔記者は『殺人犯はそこにいる』(2013年。新潮社)の中で、栃木県足利市内で1979年から1990年にかけて発生した3件の幼女殺人に関して、「被害者遺族たちに対する警察や検察の怠慢ぶり」について強調して記述している。 清水氏は、足利事件の調査を進める上で3件の幼女殺人の被害者遺族たちとの面会を切望した。しかし、事件発生から長い年月が経過しており、遺族たちは既に軒並み転居、彼らの現在の居所を掴むのは困難に思われた。  なんとか遺族に取材を、と思うが、実際どこに住んでいるのかすら分からなかった。(清水潔『殺人犯はそこにいる』p50)  それでも、「遺族取材を外すわけにはいかない」(清水潔『殺人犯はそこにいる』p51)という熱意の下、足利の現場周辺をひたすら聞き込んで歩き、近所の飲食店の店主や知人や親戚に当たっていくうちになんとか遺族たちに巡り会えたという。 それで、清水氏は3人の被害者遺族たちにインタビューを行なったのだが、その途上、「警察や検察が遺族たちをぞんざいに扱っている」ことに気付き、そのような捜査関係者の怠惰な姿勢に憤慨した。  それでも、逮捕された菅家という人を犯人と信じて生きてきた。ところがある日、一人の記者がやってきた。私だ。その記者から捜査の経緯を聞き、菅家さんは真犯人なのかと次第に疑問が膨らんでいった。再鑑定の結果も不一致だと知った。(清水潔『殺人犯はそこにいる』p178)  以下は、清水潔の著書『殺人犯はそこにいる』における、捜査関係者の対応に関する各遺族たちの述懐である。 ・福島万弥ちゃん(事件発生は1979年8月3日)の父、福島譲氏    (清水潔『殺人犯はそこにいる』p52)  ・長谷部有美ちゃん(事件発生は1984年11月17日)の父、長谷部秀夫氏   有美ちゃんの父親は、自宅玄関前で私の名刺に目を落としたままこう言った。「今さら、何を聞きたいんですか……。もちろん事件を忘れたことはないですよ。犯人は捕まったと警察から聞いています。警察はよくやってくれましたよ。犯人は憎いけど、パチンコ店に連れていった自分達のことも、今も責めてますよ……」(中略) 取り調べでは万弥ちゃんと有美ちゃんの事件も自供した菅家さんだが、その後供述を翻している。そして二つの事件は不起訴となり、裁判にさえなっていない。 だが、警察の会見と報道は強い印象を残した。足利市内でそれとなく聞いてみると、多くの人が三件の事件は全面的に「解決」したと信じていた。何より、遺族の一部までがそう思い込んでいた。 (清水潔『殺人犯はそこにいる』p53)  ・松田真実ちゃん(事件発生は1990年5月12日)の母、松田比都美氏   松田さんは、警察からは詳細な犯行経緯を聞かされていなかった。初公判を傍聴するため夫婦で裁判所に出向いた際にも刑事からこう言われた。「マスコミがたくさんいますから、法廷に入らずこのまま帰った方がいい」素直にその言葉に従ったという松田さんは、今、菅家さんの供述内容や判決内容を私から聞くことになった。「ええ、そうです。当初は自供をしてました」「……真実を連れて行ったんでしょ。そう言ったって、刑事さんから、聞きましたよ」「 すると、松田さんは怪訝な顔をした。「え? 自転車? 歩いてでしょ?」「いえ、自転車の荷台に乗せてと。裁判もそれで進みました」「荷台って?」「あの、イスの後ろの荷台です」「そんなはずないですよ、真実は自転車の荷台になんか乗れません」「そうなんですか、四歳でしたよね」「無理ですよ。カゴがついた自転車じゃないと無理です」真実ちゃんは、自転車は好きだったという。  渡良瀬川の現場では、菅家さんの自転車を松田さんに見てもらい、改めて感想を聞いていた。  以上が被害者遺族たちの述懐である。 このように、福島譲氏と長谷部秀夫氏は松田比都美氏は ところが、上記の被害者遺族たちの主張は「支離滅裂」「滅茶苦茶」なのである。事件当時の情報と大きく食い違っている。 以下、事件当時の資料から引用する。  捜査阻んだ時間の壁足利の2幼女 殺害不起訴 「自分が裁きたい」遺族、怒りと悲しみ訴え 「残念だが法治国家の限界。自分が犯人を裁きたい」「証拠がないんですから…。でも悔しい」。この日まで万弥ちゃん事件は十三年六カ月余、有美ちゃん事件は八年三カ月余経過。深まる遺族の悲しみとは逆に、地検幹部は「時間の経過が最大の壁だった」と苦渋の表情を見せた。県内でも史上まれな凶悪事件だった足利連続幼女殺害事件。未解決のまま、事実上の捜査は終了した。 遺族 「証拠がないんですから…。とにかく年月がたち過ぎました」。 一昨年末、菅家被告の自白後は「本当に殺したのなら罪を償ってほしい」と思い続けてきたという。八年前の事件以来、妻のHさん(四〇)と毎日欠かさず仏壇に線香を上げているが、「とにかくつらいことなので…」と家族だれもが「事件のことを口にしたことはない」と話す。 初めから「とにかくそっとしてほしい。話すことはないです」と言葉少なだったが、最後には「警察や検察の方には感謝している。でも悔しいですね」と漏らした。  事件発生から十三年六カ月余が経過。福島さんは「ある程度結果は覚悟していました」と重い口を開き、「一番古い事件ですから、時間がたって菅家被告の自白を裏付ける物証がなくなっていたのでどうしようもない。法治国家の限界だと思う」。 そして「今でも自分で裁いてやりたいという気持ちはある」と無念さをにじませていた。 (1993年2月27日付『下野新聞』2面)   清水潔氏の著書の中で両者が主張していることは明らかに矛盾しているではないか!!  同様に、松田真実ちゃんの母、松田比都美氏の主張も支離滅裂である。以下、事件発生当時の資料から引用。   Tさんと主任保母のS・Hさん(二五)らによると、  それは一般的、常識的に「自動車」のこととしか考えられず、どう足掻いても「自転車」には結び付かない。 また、この証言は真実ちゃんが通っていた保育園の2人の保母らによるものだが、このような状況下で保母たちが被害者遺族の交通手段について虚偽の報告を行う必要性があるわけが無く(菅家利和氏が捜査線上に浮上するのはこの半年後、逮捕は1年7ヶ月近くも後のことである。まだ菅家の「ス」の字すら出ていなかった)、そして、2人が揃いも揃って「自動車」と「自転車」を見間違えるとも思えない。 清水潔氏の著書『殺人犯はそこにいる』の内容は全体を通してこのような体たらくなのである。「矛盾」「食い違い」「嘘」「デタラメ」「支離滅裂」のオンパレードなのである。 とてもじゃないが、清水潔『殺人犯はそこにいる』をマトモなノンフィクションのルポルタージュとして読み通すことなんて私には出来ない。この本は所詮は【フィクション小説】である。  尚、福島万弥ちゃんと長谷部有美ちゃん、2つの幼女殺人に関しては菅家利和氏が「不起訴」になった件について、清水潔氏はご多分に洩れず以下のようにトンチンカンな文章を展開した。   北関東の現場に飛び出して一ヶ月。取材はいよいよ連日、という様相を呈していた。「真実ちゃん事件」の取材を続ける一方で、当時の捜査員に聞けば、小声で語るばかりだ。だが、幼い子供を三人も殺害したのが事実であれば、その犯人は死刑も止むなしではないのか。なんだか自信なさげにすら聞こえる捜査員のセリフに違和感が募る。 (清水潔『殺人犯はそこにいる』p50~51)  清水潔は上記のように、松田真実ちゃん殺害事件より前に起きた2つの幼女殺人(福島万弥ちゃん、長谷部有美ちゃん)についてそして、松田真実ちゃんの事件だけが起訴された理由を「科警研がDNA型鑑定の全国導入の予算を獲得したかったから(無実の菅家氏を踏み台にした)」として推論を進めていくわけだが、足利事件について本当に真剣に調査した人間であるならばこんな結論に至るわけが無いのだ。 清水潔は確実に「すっとぼけ」ている。知っているくせに、わざと「知らない“フリ”」をしているとしか考えられない。 以下、事件当時の資料から引用。  足利・真実ちゃん事件の菅家被告 2幼女殺害は不起訴  足利市の三幼女殺害事件で、宇都宮地検は二十六日、松田真実ちゃん=当時(四つ)=殺害事件で誘拐、殺人などの罪で起訴、公判中の同市家富町、元保育園バス運転手・菅家利和被告(四六)に対し、(中略) 菅家被告は一昨年十二月、真実ちゃん殺害容疑で足利署捜査本部に逮捕され、起訴された。捜査本部が他の二事件についても追求したところ、菅家被告は両事件とも犯行を自白した。このため捜査本部は万弥ちゃん殺害容疑で再逮捕。しかし同地検は 有美ちゃん事件については、捜査本部が任意で取り調べを行い、殺人事件としては異例の書類送検となっていた。  同地検は処分保留後も万弥ちゃん事件について捜査してきたが、万弥ちゃんのワンピースやサンダルが菅家被告が自供した場所から発見できず、遺体が入れられたリュックサックなどの遺留品も入手状況の裏付けができなかった。  有美ちゃん事件に関しては、死体遺棄現場から発見された約二千本に及ぶ毛髪を鑑定したが、菅家被告の毛髪と一致するものがなく、有美ちゃんの靴も発見できないなど、菅家被告と犯行を結び付ける物的証拠が全くなかった。  両事件とも発生から長期間経過しており、菅家被告本人ばかりでなく目撃者などの記憶もあいまいになり捜査は難航した。(1993年2月27日付『下野新聞』1面)  矢野光邦宇都宮地検次席検事の話長期にわたって捜査を継続し、慎重に検討を重ねてきたが、  梅沢錦治弁護士の話起訴すれば無罪になることが明白で、検察としては当然の判断だ。(1993年2月27日付『下野新聞』1面)  地検  一方、宇都宮地検は同日午後四時半すぎから、地検会議室で菅家被告の不起訴処分に関して記者会見。会見に臨んだ矢野光邦・次席検事と足利三幼女殺害事件の主任検事を務めた森川大司・三席検事はと苦渋に満ちた表情で語り、「遺族の方には本当に申し訳ない」と頭を下げた。  会見に集まった報道陣は約三十人。連続幼女殺害という県内でもまれに見る事件の処分決定だけに、記者団から「なぜ不起訴なのか」「何が一番の障害だったのか」と矢継ぎ早に質問が飛んだ。  質問に答える矢野次席検事はやや視線を落としながらも、不起訴処分に至った経緯を理路整然と説明。森川三席検事は十分な捜査の上での処分を強調した。  両事件の発生からこの日まで、万弥ちゃん事件は約十三年六カ月、有美ちゃん事件は約八年三カ月。矢野、森川両検事とも改めて「ご遺族の方にごめい福を祈りたい」と会見を終えた。(1993年2月27日付『下野新聞』2面)   昨年一月十五日、万弥ちゃん殺害容疑が処分保留になった時は大きな衝撃を受けた県警だったが、この日の不起訴決定を捜査員らは冷静に受け止めていた。 処分保留の時、「不起訴が決まったわけではない」と記者会見した森下昭雄刑事部長。「県警としては菅家被告の信憑(しんぴょう)性ある自白に基づき物的証拠の裏付けなどあらゆる捜査を尽くしたところである。しかしながら、長い時間の壁に遮られて(菅家被告と)犯行を結びつける有力な物証が得られず、起訴に持ち込めなかったこととなり誠に残念である」というコメントを発表しただけ。 県警は菅家被告を万弥ちゃん事件で逮捕、送検。有美ちゃん事件でも書類送検しており、「事件は立件した」(捜査幹部)としている。このため捜査幹部は「起訴に一縷(る)の望みを託していた。しかし今回の決定はやむを得ない」と時の流れを恨んだ。(1993年2月27日付『下野新聞』2面)  解説      今回の二事件の場合、  二事件の菅家被告に対する捜査は、事件発生から十二年四カ月余、七年一カ月余と 万弥ちゃん事件では最大の物証といえるリュックサックの入手経路の解明がカギとされた。 また万弥ちゃんを縛ったひもの特徴的な縛り方も菅家被告が再現を途中でやめるなど「秘密の暴露」も得られなかった。 有美ちゃん殺害ではさらに物証は乏しく、唯一の手掛かりとして望みを託した毛髪鑑定でも  一方、通常の捜査でも行われる状況証拠の積み重ね手法は、                                                            (1993年2月27日付『下野新聞』2面)  引用終わり。      本稿の下記の引用について、  >菅家さんが自供しながら不起訴となった二つの事件も並行して取材する。>>当時の捜査員に聞けば、>>小声で語るばかりだ。>(清水潔『殺人犯はそこにいる』p50~51)  私はある事柄をすっかり見落としていたので、ここで訂正しておく。 それは、清水潔『殺人犯はそこにいる』における上記の「清水潔のオリジナルの体験(取材)ではなくて、小林篤『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』の304ページの記述の“焼き直し”だということ。  >>>>> >罪を憎んで、人を憎まず。>警察は、犯人を逮捕し、第四の犯行を未然に防いだ、>ついに社会正義をまっとうしたんだと、その幹部は誇らしげに言った。>彼らは、県警本部長即賞、さらには警察庁長官賞の栄誉に輝いたという。>(小林篤『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』p304)  おそらく、清水潔は、当時の捜査員に、「三件中の二件を不起訴にした理由」について、直接、取材していないのだ。ただ単に小林篤の書籍の「受け売り」をしただけのように今の私には思える。 ※清水潔が下敷きにした小林篤のこの「二件を不起訴にした理由」云々について、小林は小林で、独自のトリッキーな“ウソ・デタラメ”を展開して読者を欺いているわけだが。下記リンク参照。   [前回]

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