Jazz ベーシスト 有名

ピアノトリオの最高傑作「Waltz For Debby」スコット・ラファロの素晴らしいアプローチが随所で聴けます。中でもおすすめはやはり2曲目の「Waltz For Debby」です。テーマのカウンターメロディなど非常に美しいサウンドになっています。若干25歳で交通事故によりこの世を去ったラファロですが、いまでも音楽を通じて多くのベーシストに影響を与え続けています。 ジャズ・ベースの特徴ジャズベーシストはとても地味な存在です。スタープレイヤーである管楽器や、その他のメロディ楽器の陰で的確にサポートをし続け、ほぼ休む間がなく大きな楽器を最後まで弾き通さなければなりません。ゆえに自己主張 . JAZZという音楽の魅力を中心に また、リーダー作品も数多く残っていますが、「サムシング・フォー・レスター」が特に有名です。その重厚かつ、テクニカルなベースプレイは、モダン・ジャズ以降のベーシスト達に多大なる影響を与えました。 「サムシング・フォー・レスター」

2010年OKAMOTO’Sのベーシストとしてデビュー。 尊敬する人は、ジャズベーシスト界の神「ビル・ディッキンス」です。こんにちは!今回は、私が尊敬してやまない「まず、あなたは「ビル・ディッキンス」を知っていますか?彼の大ファンとしては悲しいことですが、おそらくほとんどの人の答えが「NO!」でしょう。私もきっとジャズが好きじゃなかったら、彼のことなんて一生知らなかったと思います。このジャズベーシスト界の神「ビル・ディッキンス」って、本当にすごい人なんです。その"超絶技巧"と絶賛されるテクニックで、多くのベーシスト達に影響を与えてきた人物。そんな魅力たっぷりの「ビル・ディッキンス」をご紹介していきます。目次ビル・ディッキンスは、アメリカイリノイ州出身のジャズベーシストです。残念ながら日本では「知る人ぞ知る!」というレベルの知名度ですが、本国アメリカではとても有名なベーシスト。1970年代から活動をはじめ、現在までずっと第一線で活躍しています。日本では彼の活躍を目にする機会はあまりないので、ぜひ一度youtubeなどで彼の"超絶技巧"を見てみてください!インターネットで「ビル・ディッキンス」と検索すると、「超絶技巧」と一緒に「7弦ベース」や「6弦ベース」というワードが。そうなんです!通常、高速スラップは腕の使い方をマスターさえすれば、取り入れやすい奏法です。しかしそれは4弦ベースであればの話。▼これが4弦ベース▼▼これが7弦べース▼彼は7弦ベースや6弦ベースなど、弦間が狭いベースで高速スラップを再現してしまうんです。これは本当に"神業高速スラップ"としか言いようがないほどの、超絶技巧です。彼のこの"神業高速スラップ"については、やはり文字のみだと彼の凄さは伝わらないので、2度目になりますが、ぜひ一度Youtubeなどで彼の"超絶技巧"を見てみてください。ここまで散々「ビル・ディッキンスの高速スラップが凄い!」と熱弁してきましたが、その技、どれくらい難しいものなのか気になりませんか?"神業高速スラップ"と呼ばれる彼の技に、素人が挑戦するとしたらどうすればいいのかを調べてみました。まずは、『そもそも「高速スラップ」の「スラップ」って何?』という話から始めたいと思います。「スラップ」とはベースの演奏方法の1つで、正式には「スラップ奏法」と呼ばれるもの。スラップの他に、「スラッピング」「チョッパー」と呼ばれることもあります。2種類の方法の使い分けとしては、【高音弦をプル】【低音弦をサムピング】としているプレイヤーが多いよう。ちなみに、世界にはビル・ディッキンスをはじめ、多くのスラップの達人、いわゆる"スラッパー"がいます。もちろん日本にも何人もの"スラッパー"が。日本の有名スラッパー、1人目はベーシストで作曲家、音楽プロデューサーもこなす「後藤次利(ごとうつぐとし)」です。1952年生まれの後藤次利は、今年で67歳。大学在学中に「ブレッド&バターと岸部シロー」のツアーでベーシストデビュー。また、1980年からは作曲家としても本格的に活動を開始。後藤次利は、何を隠そう日本におけるスラップ奏法の第一人者!1975年に発表された「ティン・パン・アレー」のアルバム『キャラメル・ママ』の収録曲、『チョッパーズ・ブギ』で彼がスラップ奏法を披露。日本の有名スラッパー、2人目はベーシストの「青木智仁(あおきともひと)」です。1957年生まれの青木智仁は、2006年6月12日、自身の誕生日に急性心不全のために死去。49歳の若さでした。14歳からギターをはじめ、19歳の時に「YAMAHAベイエリアスペシャルコンテスト」でベーシスト賞を受賞。「角松敏生」や「渡辺貞夫」「本田雅人」のバンドグループに参加し、世界各国をツアーで駆け巡る生活。1989年にはファーストアルバム『DOUBLE FACE』、2000年にはセカンドアルバム『EXPERIENCE』を発売しています。2005年度の『ADLIB』誌上の企画「好きなベーシスト」で1位を獲得していることからも、彼の絶大な人気はうかがい知れます。日本の有名スラッパー、3人目はバンドグループ「カシオペア」のメンバーであり、ベーシストの「鳴瀬喜博(なるせよしひろ)」です。1949年生まれの鳴瀬喜博は、今年で70歳。現在は東京音楽大学の局員教授として、若き才能達の指導育成に力をいれています。中学生のころに伝説のバンドグループ「ビートルズ」に憧れてギターを開始。プロデビュー後は「カルメン・マキ&OZ」「バッドシーン」「スモーキー・メディスン」など、いくつかのバンドに加入。それらの経験を経て、1976年にはロックバンド「金子マリ&バックスバニー」を結成しました。さらにそれから、自身初のソロアルバム『MYTHTIQUE』の発売やバンドの解散などを経て、1990年に「カシオペア」に加入。鳴瀬喜博のニックネームは「なるちょ」。『ビル・ディッキンスレベルの高速スラップに挑戦!』なんてとんでもないことを書きましたが、私達一般人だって、練習をすれば高速スラップをマスターすることが出来ます。とはいえ、やはりビル・ディッキンスレベルは無謀かも…。まずは、『素人でそのレベルの高速スラップ出来るの?!』と驚かれる、周囲と差が付くレベルの高速スラップをマスターしましょう!ビル・ディッキンスレベルの高速スラップまでとはいかなくても、周囲から尊敬のまなざしで見られるレベルの高速スラップならば、私達でもマスター可能です。高速スラップは、ただやみくもに練習しても手や肩を痛めるだけ。上達はしません。今から【高速スラップをマスターするために大事なこと】を2つ紹介します。高速スラップをマスターするために大事なこと、1つ目は「それって当たり前のことだろう!」と怒りの声が聞こえてきそうですが、実はこの当たり前のことを出来ていない人が多いんです。"高速スラップ"となると力んでしまい、ついついスピードばかりに意識が向いてしまいます。「なんか格好がつかない」「音がブレる」などの悩みを抱えている人は、初心に戻って指を弦に確実に当てる練習からはじめてみましょう。早く上達したい気持ちは分かりますが、基礎をしっかりとマスターすることが上達への1番の近道です!高速スラップをマスターするために大事なこと、2つ目は高速スラップは、演奏姿も音もとてもかっこいい奏法ですが、その分とてもハード。さらに通常の「ピッキング・フィンガリング」と比較すると、弦が大きく振動することも雑音の原因に。そこで高速スラップの際はいつも以上にミュートを意識しなければいけなくなるのですが、先ほども書いたように高速スラップは体力も使うし気力も使います。さらにスラップは右手でミュートすることが出来ない!それなので、左手のミュートが必須となってきます。以上、長々とビル・ディッキンス愛について語ってきましたが、いかがでしたでしょうか?本当はもっともっと語りたいことがあったのですが、これ以上文字数を増やすと怒られそうなので…。日本では"知る人ぞ知る!"という人物で、インターネットで調べてもビル・ディッキンスの情報はあまり出てきません。そこで今回は、彼のことが少しでも多くの人に知ってもらえるといいなと思い、この記事を書きました。多くのベーシストに影響を与えているビル・ディッキンス。今後も彼に影響されて、ベーシストの道に進む人は多いと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ジャズの名盤 *ジャズに詳しい方、「あれっ、ケニー・クラークが入ってないじゃないか。(またはマックス・ローチが、バディ・リッチが入ってない)」などと言わないでくださいね。 Contents私が初めて知ったジャズのドラマーはアート・ブレイキー(1919-1990)でした。中学生の時、1963年にアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャ-ズの来日公演があることを知りました。(ポスターをじっと見つめた記憶があります)その頃は私はジャズがどんなものか知りませんでした。しかし、名前を覚えただけで、実際にその演奏を聴きに行くことはありませんでした。中学生が一人で多分高価であったであろうチケットを買って、ジャズを聴きに行くことはハードルが高いものだったのです。しかし同じ中学3年生だった村上春樹はちゃんと聴きに行っているのですね。著書「ポートレイト・イン・ジャズ」で聴きに行った時のことを書いています。ーーーアート・ブレイキーはメンバーを変えながらもその後も長くこのバンドを維持し続け、メッセンジャーズはモダン・ジャズを代表するバンドであり続けました。アート・ブレイキーの名前はドラマーとしてより、そのバンドのリーダーとしてジャズファンの心に刻まれたかもしれません。ここで1曲。有名な「モーニン」Moanin’ のオリジナルの演奏を。 もう1曲。時代は一気に30年ほど後の1989年。日本のマウント・フジ・ジャズ・フェスでのライブ映像です。 曲はこれもかっての大ヒット曲「ブルース・マーチ」 です。メンバーはもう若手の人ばかりで、Art Blakey:dsブレイキーのことが長くなりましたが、日本にジャズブームのきっかけを作った人ですから、特別です。ジーン・クルーパ(1909-1973)はブレイキーより1世代前のドラマーです。ベニー・グッドマン楽団での演奏が有名です。特に「シング・シング・シング」はいまだにビッグバンド・ジャズの代名詞のように言われています。ベニー・グッドマン時代の古い映像などもありますが、ここでは後年(1971年)の映像でジャズ・リジェンドたちが勢ぞろいしたものを見てみましょう。司会が歌手のメル・トーメ、ヴァイブ奏者のライオネル・ハンプトンとピアノがテディ・ウィルソンという組み合わせでのジーン・クルーパのドラミングが見れます。後半はズート・シムス(テナーサックス)、ロイ・エルドリッジ(トランペット)などが入った豪華メンバーでの演奏→ビッグ・バンドでの〈Sing,Sing,Sing〉などが入っています。さすがに一時代を築いたドラマーだと思わせてくれます。 バディ・リッチとのドラム合戦みたいな映像もありますが、、、それは止めておきましょう。 フィリ-・ジョー・ジョーンズではありません。パパ・ジョー・ジョーンズの方です。(1911-1985)この人の画像はアタマが禿げているものしか見たことがありません。若いころから禿げていたようです^^でもかっこいいいドラマーでした。クルーパと同じくらい古い人なんですが、結構新しい時代の演奏にも対応したようです。筆者が好きなジョー・ジョーンズのアルバムはこれです。↓さて次はもうトニー・ウィリアムス(1945/12/12–1997/2/23)です。数多くのジャズのドラマーの中で「天才」という言葉がもっとも相応しいのがトニー・ウィリアムスだと思います。 一つはその早熟性です。ディスコグラフィーを見ると、マイルス・ディヴィス・クインテットにアンソニー・ウィリアムスの名前が最初にクレジットされたのは〈Seven Steps To Heaven〉です。そしてそのしょっぱなからトニーは信じられないドラミングをしました。翌’64年のアルバム〈Four And More〉を聴いてみましょう。このドラミングは最高に新しく、かっこいいものだと感じられました。(私はドラミングの詳細について詳しくありませんので、そのテクニックのどこがどのようにかっこいいのかを説明することは出来ません。しかし、「聴けばわかる!」というレベルの新しさだったことは間違いありません)そして、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムス(ドラムス)というリズム・セクションは最高にカッコいいバンドの最高にカッコいいリズム・セクションとして世界を魅了しました。動画でも見てみたいですね。この時でもトニーはまだ21才。 その超高速シンバル・ワークは驚きです。サックスはウェイン・ショーターですね。エルヴィン(1927-2004)です。トニー・ウィリアムスが天才であったなら、エルヴィンは「至上最高のジャズ・ドラマー」と言えるでしょう。トニーがマイルス・デイヴィス・クインテットで活躍した時に時を同じくして、エルヴィンはジョン・コルトレーン・カルテットのドラマーとして活躍しました。まさに時代は「コルトレーン、マッコイ・タイナー(ピアノ)、ジミー・ギャリソン(ベース)、エルヴィン(ドラムス)は黄金のカルテットと呼ばれました。コルトレーンが、そのサックスの音で空間を埋め尽くすように、エルヴィンはドラミングで空間を埋め尽くしてコルトレーンに呼応しているように聴こえます。エルヴィンの演奏はポリ・リズムと呼ばれ、4本の手足で異なったリズムを叩きだすと言われていました。1965年ベルギーでのライブ演奏を聴いてみましょう。1968年にエルヴィンが自己名義で出したアルバム〈Heavy Sounds〉というアルバムがなかなか良いアルバムでしたので、聴いてみたいと思います。ベースはリチャード・デイヴィス。サックスはフランク・フォスター。 タイトル通りへヴィーな音です。 ジョー・モレロ(1928-2011)を知ったのは、勿論デイヴ・ブルーベック・カルテットのドラマーとしてです。盲目のドラマーと書かれることが多いようですが、かなりの弱視ではあったけど完全に盲目ではなかったようです。サングラスをしている映像も多いようですから、段々に悪化したのかもしれません。それはともかくデイヴ・ブルーベックのグループの成功の大きな要因の一つがモレロのドラムにあったことは間違いないでしょう。特に世紀の大ヒット〈Take Five〉のドラムを聞けば、この曲の成功がモレロのドラム無しではあり得なかったことが分かります。この曲のリズムは5/4拍子でした。 (カウントは1,2,3,1,2と取ると乗りやすいです。)このような変拍子の曲が大ヒットとなったことは少し不思議なことかも知れません。 モレロのドラミングにスポットした動画もありましたので、しつこいですがアップします。他に、モレロ名義で出た〈Collections〉というアルバムも大好きです。白人3大ドラマーのことを書きましたが、大ヒットしたアルバム「マイ・フェア・レディ」を聴いてみましょう。実にタイトなドラムですね。これぞモダンジャズ・ドラミングという感じです。シェリー・マンが背後からヒシ、ヒシ、ヒシとシンバルを叩けば、紛れもなくジャズが始まると感じさせてくれます。シェリー・マンが人気があったのが良く分かります。動画でも見てみましょう。1962年、TV出演時動画とのキャプションがあります。 私が愛聴しているシェリー・マンのアルバムは以下の5枚シリーズのCDです。↑これがVol.1でVol.5 まであります。 色んな褒め方があるのですが、その幅広い活躍は周知のことですが、特にキース・ジャレット・トリオのドラマーとしても有名です。ディジョネットは「押しも引きも出きる」ドラマーですが、ここではブラジル出身のピアニスト、イリアーヌ・イリアスのバックを務めている画像がありましたので、それをアップします。ベースはビル・エヴァンズ・トリオ、最後のベースだったマーク・ジョンソンです。3人の魅力が味わえるステキな動画です。 そしてディジョネットの魅力を知るにはやはりこのような動画が適切かと思いますので、アップします。 Pat Metheny, Herbie Hancock, Dave Holland, Jack DeJohnette での Cantaloupe Island (1990)です。 このメンツはパラレル・リアリティーズですね。ディジョネットを「現代最高のドラマー」と呼んだのですが、それに劣らない活躍をしてるもう一人の現代ドラマーがスティーブ・ガッドです。「フュージョン最高のドラマー」と呼んでもいいのですが、その範疇に収まり切れないほどの実力を持ったドラマーだと思います。自己のバンド THE GADD GANG のライブ映像を見ましょう!このメンバー、コーネル・デュプリー(ギター)、リチャード・ティー(キーボード)、エディ・ゴメス(ベース)、ロニー・キューバ―(バリトンサックス)というメンバーは実に魅力的です。本来ならもう少し新しい、近年のガッドを紹介すべきでしょうが、先ほどのメンバーでやっている 〈My Girl~I Can’t Stop Lovin’ You> というメドレーも是非聴いて頂きたいもので、同じメンバーでの2連発アップにします。 なお近年のポール・ボーレンバック(ギター)、ジョーイ・デフランシスコ〈オルガン)を加えたグループもすごくイイのでCD紹介します。 最後は敬意を評してロイ・ヘインズにします。何と1925年生まれの現役ジャズ・ドラマーです。チャーリー・パーカーとの共演経験がある最後の一人。さまざまなレコードにその名前が刻まれています。↓1966年スタン・ゲッツとの共演映像です。バスドラ、スネア、ハイハット、シンバルをフル回転で叩くヘインズの雄姿です。●そして2009年84歳での映像です。しかもジョン・パティトゥッチ(べ-ス)デイヴ・キコスキー(ピアノ)という全く現代を代表するプレイヤーを擁しての Roy Haynes Trio です。 スペインでのライブ。*ラテン圏(フランス、スペイン)などでは、ドラムのことをバッテリと呼びますね。  10人に限定してジャズ・ドラマーをまとめてみましたが、それでも壮観なことになりました。当然のことですが、ドラマーの歴史がジャズの歴史になっています。最後に、他に挙げたかったドラマー名を列記します。 \フォローお願いします/微笑みの国タイの「いいかげんさ」と「寛容さ」そして日本人の非寛容と窮屈さ沢木耕太郎の2冊の映画エッセイ『世界は「使われなかった人生」であふれている』『「愛」という言葉を口にできなかった二人のために』このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。13人の購読者に加わりましょう

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