暗黒の魔造兵が次々復活すると厄介なので、火力が高い方が戦いやすいです。 敵の攻撃を全て避けられない場合は、僧侶を2人入れるのも手ですが、死者が出た際に僧侶以外がせかいじゅの葉を使うのが良い … ドラクエ10のモンスター「てっこうまじん」の詳細。ドロップする宝珠、レベル上げ、狩り場、hp、弱点、耐性、場所、座標、特訓、倒し方。通常「てっこうせき」、レアドロップ「せいれいせき」。 漢字を勉強する外国人から出る悲鳴。例えば、「人」という漢字。実は、これは日本語教師泣かせのリクエストなのです。しかし、「ある程度の傾向」はありますので、今日はそれをご紹介します。①「人」という漢字を問題は、「人」を「ニン」、「ジン」と音読みするときです。②「人」の③「人」の④「人」のというような傾向があります。私たち日本人はこういった傾向を感覚で理解しているので、例えば「●●人」と外国人だけでなく、日本人の子供も、何となく覚えるのではなく、こういう傾向 人狼殺の魔女局7人村についてのセオリーや必勝法まとめ!魔女の役割・能力を分かりやすくご紹介しています。魔女だけでなく、7人村での他の役職の強い立ち回りについても説明していきます。 Twitter: ドラクエ10ドラクエ10のモンスター全種類(Ver3.5対応)のHP・経験値、弱点・耐性、ドロップする宝珠、倒し方・攻略法!ボス系のサポート仲間のみ討伐。モンスター討伐に欠かせない生息場所・座標、行き方、おすすめ狩場や効率の良いレベル上げ方法、特訓モードや汗と涙の結晶化に必要なモンスターLV、ドロップ品を使った金策など。当サイトは、株式会社スクウェア・エニックスを代表とする共同著作者が権利を所有する画像を利用しております。 「人」:「ひと」、「ニン」、「ジン」の読み分けのルール. 魔法陣の超カンタンな作り方をまとめてみました。誰でも作れますよ。Sponsord Link まずは魔法陣とはなんぞや?から説明しますね。 そして、魔法陣とはいっても奇数の魔方陣と偶数の魔方陣では作り方が違います。 しかし、奇数、偶数の基本の魔方陣の作り方や、数字のコツさえ覚えてしまえば、あとは応用していけばいいんですよ。 ○魔法陣とは?○魔法陣の3×3の作り方○魔法陣の5×5の作り方○魔法陣の4×4の作り方○魔法陣の数字○魔法陣?本当は魔方陣??○魔法陣グルグル?○魔法陣講座♪ 以下は、(魔法陣の漫画やアニメ、魔法陣グルグルがこれなんですよね。)という動画です。 目次まず最初に魔法陣とは? 魔法陣とは正方形の2×2個、3×3個、4×4個、5×5個、といったマスに数字が並べられたもの。 並べられる数字は、1からそのマスの個数までの数字で、数字はダブる事がないようにする。 縦、横、斜めの数字を合計した数字がすべて同じ数字になるように数字を配置したものを魔法陣といいます。 全部で9マスありますから1から9までの数字が入ります。 魔法陣の3×3の場合、縦、横、斜め、の各合計の数は15になります。 この縦、横、斜め、の各合計の数はどのように求めるのでしょうか? 奇数の魔法陣であれば、以下の計算が成り立ちます。1から9までを全てを足していくと合計で「45」となります。45を3で割ると、その合計の15となります。 作り方としては、まずは3×3の魔法陣9マスを作ります。 次に以下のようにマスを追加します。 9マスの1段目の右端の斜め左上の追加マスに「1」を書き、9マスの右上のマスに『2』を書き、斜め右下に追加マスに「3」を書きます。 9マスの1段目の左端には『4』を書き、その斜め右下のマスには『5』と書き、その斜め右下のマスには『6』と書きます。 9マスの2段目の左端の外の追加マスに「7」を書き、その斜め右下のマスには『8』を書き、その斜め右下の追加マスには「9」を書きます。 つまり以下のようになります。 追加マスに書かれている4つの数字を、9マスの中でまだ埋まっていないマスに書き込みます。 「1」は、9マスの3段目に空いているマスに『1』と書きます。Sponsord Link「3」は、9マスの1番左の列で空いているマスに『3』と書きます。「7」は、9マスの1番右の列で空いているマスに『7』と書きます。「9」は、9マスの1段目に空いているマスに『9』と書きます。 つまり、追加マスの同じ行、同じ列にある遠い空いてるマスに数字を入れるのです。 これで、3×3の魔法陣は完成となります。 5×5の魔法陣も考え方は同じです。最初の追加マスが以下のようになります。 まずは、1から16までの数字を以下のように左上から順番に並べていきます。 次に以下のように並べ替えます。 どのように並べかえたかというと、4つの角はそのまま真ん中4つもそのまま 残った数字は入れ替えるのですが、自分の数字と一番遠くてかつ上記の数字以外を入れ替えたのです。 仲が悪い数字というものがあり、「1と2」や「15と16」は左隣や右隣を置ける種類は48しかないです。 凄く仲が悪い数字というものもあり、「7と8」や「9と10」は決して左隣や右隣には置くことはできません。 斜め左隣や斜め右隣という風でなら、置くことはできますよ。4×4の魔法陣の4つの隅と真ん中の和は、必ず「34」になるんです。 解き方のコツさえ解れば、簡単に魔法陣の答えが出せます。 3×3の数字を使った魔法陣ですが、よくよく見ると本当は魔方陣と書かれていることに気がついている人はどれくらいいるのでしょうね。 そもそも、魔法陣は魔法を使って何かを召喚するために使う物であって、数字を使ったパズルゲームなどは本来は魔法を使われていません。 ただ、形的に魔法陣に似ている感じから魔方陣を魔法陣にかけたんだと思われます。 魔法陣グルグルとは、漫画のタイトルでその後アニメにもなっています。 魔法陣を簡単に書けるアプリがあるんですよ。アンドロイドでも、アイフォンでも簡単に魔法陣が書けるアプリが欲しい人のために、URLを載せておきますね。 魔法陣は、使い方によっては悪魔をも召喚させてしまうこともあります。 Sponsord Link 本日は午後1時30分より宜野湾市民会館で復帰40周年記念式典が行われ俳優の津川雅彦さんが記念講演をします。入場料は500円ですが学生以下は無料ですので是非ご参加下さい。(詳しくは文末に) ☆■ ☆【追記】>この30年前の沖縄タイムスの記事が筆者の不注意により未完のままアップされてしまったことを改めてお詫びしたい。結果的には予告編の役割をしたが、本稿は本編である。当日記を古くから読まれている方は上記引用の記事を読んで、アウトラインは理解できるでしょうが、複雑に絡み合った集団自決の整理のため、記事に書かれている事実の説明から始める。ここに登場する徳嵩力氏は、1921年生まれ、長野県出身。戦後、国家公務員上級試験合格し1956年衆議院外務委員会調査になり、沖縄問題を担当。復帰の3年前の昭和44年(1969年)に衆議院職員初の沖縄調査団として沖縄視察をしたエリート官僚である。徳嵩氏は戦後一貫して沖縄問題を担当した使命感から独自に沖縄問題の研究から発展し「鉄の暴風」、「秘録沖縄戦」(山川泰邦)、「沖縄ノート」(大江健三郎)などの沖縄戦の本を読み漁り、ついには赤松大尉を捜し当てて、ことの真相を問いただす。ちなみに「鉄の暴風」が伝聞や噂の類を基に書かれた嘘まみれの本であり、「沖縄ノート」はその嘘のネタ本を下地にしたデタラメの本であることは、今では大方の知るところ。 「秘録沖縄戦」も、「鉄の暴風」の影響を大きく受けており、近年著者の故山川康邦氏のご子息が歪曲部分を削除した改定版を出したくらいである。復帰前の沖縄戦の情報が少なかった当時としては仕方の無いことだが、徳嵩氏が沖縄戦を勉強した本が全て沖縄タイムスの偏向思想により歪曲された本だけだったのは徳嵩氏にとって不幸であった。優秀で誠実な戦前の日本のエリート官僚の系譜を継いだと思われる徳嵩氏は、イデオロギーとは別の視点から、日本軍が沖縄に及ぼした被害の数々をこれらの「沖縄本」から勉強し、激しい贖罪意識に襲われる。 そして政府の沖縄担当の調査官としての使命感から赤松大尉を探し出して当時の状況を聞き取るのだが、赤松大尉がそれに対する返事を手紙にして送ったのが記事に出て来る昭和45年11月30日付けの赤松氏の手紙である。 今年は沖縄の日本復帰の40周年だが、赤松氏が手紙を送ったのは復帰の2年前、今から42年前の出来事である。徳嵩氏は沖縄担当の官僚という職務上、沖縄紙の東京支局の記者と知り合うことになるが、ある席上偶々隣の席にいた沖縄タイムス記者に赤松大尉の手紙のことを話すことになる。徳武氏としては赤松大尉の存在を知ったのが沖縄タイムス刊の「鉄の暴風」だったのだから沖縄タイムス記者に話すことに何の躊躇も無かったのだろう。 当時の徳武氏としては「鉄の暴風」や「沖縄ノート」がイデオロギーまみれのデタラメな本と言うことを知る由もなく、沖縄戦史の解明の資料として沖縄タイムスに手紙を渡したのも仕方の無いことである。沖縄タイムスが赤松大尉の直筆の手紙を入手したら、どのような行動にでるか。 猫に鰹節とはまさにこのこと。手紙の内容の如何に関わらず、イデオロギーによる歪曲した捏造記事を書くことは火を見るより明らかだった。それが上記引用の記事である。この記事は12面のトップを徳嵩氏の写真つきで大きく飾り。徳嵩氏の写真には「故赤松氏からの当時の手紙を見ながら住沖縄タイムスの記事を見て、沖縄戦当時渡嘉敷島の駐在巡査を勤め集団自決の一部始終を目撃した比嘉(旧姓安里)喜順氏が記事のあまりにも酷い歪曲された内容に悲憤慷慨し、その日のうちに抗議の手紙を徳嵩氏に送った。手紙の日付が沖縄タイムスの記事と同じなのは、それだけ比嘉氏が当時の生き証人として居ても立ってもおれなかった比嘉氏の心境を表している。比嘉氏はその日の午後3時頃記事を読み、すぐ沖縄タイムスに抗議すると同時に徳嵩氏の連絡先を問いただし、その日のうちに手紙をしたため郵送している。その手紙はご子息から公開の許しを得ているので、集団自決の真相解明の歴史的資料として下記に公開する。その前にタイムス記事が触れている「当時の新聞には、沖縄県民や渡嘉敷住民が、赤松氏を空港に出迎えた抗議した、と報道している。が、実際に空港で抗議したのは僅か十数名の那覇市の市職労の組合員であり、渡嘉敷住民は慰霊祭に赤松氏が参加するのを歓迎していた。1970(昭和45年)3月26日、赤松氏が那覇空港で、左翼集団に取り囲まれて渡嘉敷島には渡ることを阻止されたことは過去にも再三書いたが、親族関係者の話で次のことも判明した。赤松氏は、空港で、抗議集団にもみくちゃにされ、背広のボタンも引きちぎられる酷い有様だったという。このような激しい抗議に遭っては、普通の定期船ではとても渡嘉敷島に渡ることができないと判断し、渡嘉敷行きは諦めかけていたが、翌慰霊祭当日、伊礼蓉子氏(旧姓古波蔵、戦時中、渡嘉敷村女子青年団長)のご主人が、迎えに来てくれ舟を出してくれた。たが、結局、赤松氏はさらなる騒動を避け、島には渡ることはせず、島の入り口まで行って、慰霊祭への花束だけを託したという。渡嘉敷の住民は赤松氏の来島を大変歓迎していたが、マスコミや抗議集団との混乱を避けるため渡嘉敷上陸は断念した。なお、伊礼蓉子氏の娘さんは、赤松氏宅にも訪問したことがあり、赤松氏の家族と今も交流が続いているという。 赤松氏の地元では、地元紙である神戸新聞の記事を見た人が多く、赤松氏の長女は後にクラスメートからこのことを教えられたという。 なお、赤松氏を渡嘉敷に送る舟を手配した伊礼蓉子氏(旧姓古波蔵)は、星雅彦氏の手記「沖縄は日本兵に何をされたか」(雑誌「潮」1971年11月号に掲載)の中で証言者として登場している。《村の指導者たちやその家族や防衛隊の幾人かは、そろって無事で、その集団にまじっていた。みんなひどく興奮していて、狂人のようになっていた。 赤松氏は当時の渡嘉敷村長の了解の下に沖縄訪問をしたわけだから「“大規模な歓迎”を受けたと、抗議が意外だった心情を吐露している」という赤松氏の心情は事実であった。赤松氏に罵声を浴びせる組合員の中には赤松氏を出迎えにきた玉井喜八渡嘉敷村長がいた。組合員の暴力的な実力行使で、結局赤松氏は慰霊祭に参加を断念するが、玉井村長は次のようなコメントを沖縄タイムスに伝えている。「赤松氏は三年ほど前から慰霊祭に出席したいと連絡していた。集団自決論争が問題解決を困難にしている理由は次の点にある。①「事件」が60数年前のことであり、体験者はほとんどが物故している。②数少ない証言も、当時子供だった証人の曖昧な証言に頼らざるを得ない。③物的証拠は一つもなく、証言あるいは証言記録のみを証拠としているの。④意識的嘘の証言は論外としても、証言の「思い違い、記憶違い」等も考慮に入れなければならぬ。これらに親族、地域社会などの人間関係、経済的要素の呪縛や、イデオロギーの呪縛が絡むと証言の信憑性の検証はますます難しくなる。2007年の「11万人集会」の前後、沖縄紙は夥しい数の証言者を紙面に登場させ、連日「体験者証言」と大々的に報じたが、そのほとんどが、「毒おにぎり証言」の例のように客観的検証に耐える証言ではなかった。卑近な例で、意図せざる「記録の過ち」を一つ例示しておこう。手記はここ⇒同手記には昭和53年赤松夫人が三十三回忌の慰霊祭に渡嘉敷訪問したとあるだが、これは玉井村長の記憶違いで、赤松夫人が慰霊祭に参加したのは昭和53年ではなく、正確には昭和59年に戦隊員や遺族の方々に同行し、赤松氏の遺品を寄贈したという。これは赤松氏の遺族関係者からご指摘を受けた。玉井村長のような重要人物でさえこのような記憶違いを手記に書くくらいだから、故人が残した証言の記録が全て正しいとは限らず検証が必要なことは言うまでも無い。実際に赤松夫人が渡嘉敷島を訪れたのは、手記にある昭和53年ではなく、昭和59年であるというから、赤松夫人は次の記念写真のどこかに写っているものと思われる。 ■比嘉喜順氏の手紙 ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! 【平和ボケと指摘され、沖タイは目が覚めたのか、最下部のべた記事(24日)から一転、七面トップに大転換。ツーテンポ遅いんだよ!これで新聞と言えるか、沖タイさん。遅ればせながら今日(26日)の沖タイは、7面トップをこのような大見出しで飾っている。 ■ポンぺオ米国務長官演説は、文末に掲載 23日、米西部カリフォルニア州で、演説するポンペオ米国務長官=ゲッティ共同 ポンペオ米国務長官の中国に関する演説の要旨は次の通り。 米国や他の自由主義諸国の政策は中国の後退する経済をよみがえらせたが、中国政府はそれを助けた国際社会の手にかみついただけだった。今日の中国は国内でより独裁主義的となり、海外ではより攻撃的に自由への敵意をむき出しにしている。対話は続ける。しかし最近の対話は違う。私は最近、ハワイで楊潔篪(ヤン・ジエチー中国共産党政治局員)と会った。言葉ばかりで中国の態度を変える提案はない、相変わらずの内容だった。(レーガン元大統領は「信頼せよ、しかし確かめよ」(trust but verify)の原則にそってソ連に対処した。世界の自由国家は、より創造的かつ断固とした方法で中国共産党の態度を変えさせなくてはならない。中国政府の行動は我々の国民と繁栄を脅かしているからだ。 自由主義諸国が行動するときだ。全ての国々に、米国がしてきたことから始めるよう呼び掛ける。中国共産党に互恵主義、透明性、説明義務を迫ることだ。過去の同じ過ちを繰り返さないようにしよう。中国の挑戦に向き合うには、欧州、アフリカ、南米、とくにインド太平洋地域の民主主義国家の尽力が必要になる。 ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! 24日付沖縄タイムスは、米政府が閉鎖を要求した米国ヒューストンの中国総領事館について、4面最下部のアリバイ記事で胡麻化している。だが、領事館の閉鎖は宣戦布告直前の米中が緊迫する問題であり、沖タイの平和ボケには今更ながら呆れかえる。「知的財産窃盗」と言うが、結局日本にはスパイ防止法が無いので、アメリカの真似をするにはスパイ防止法の実施が先決。トランプ大統領が、中国スパイ“一掃”! 新型コロナワクチンも狙われた? 公館閉鎖次々要求。米中は戦争直前の状況。日本はスパイ防止法もないので中国のスパイがやりたい放題。 ちなみに外交上の対立は次の流れで、国交断絶と言う最悪の事態に突入する。遺憾声明→非難声明→経済制裁→経済封鎖→領事館閉鎖→大使館閉鎖→大使召還→国交断絶従って領事館閉鎖は、大使召還直前の最も強い外交措置である。 All Nippon NewsNetwork(ANN) 中国のテレビ朝日 ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! sssp://img.5ch.net/ico/monatya.gif中国の公船による尖閣諸島周辺海域への侵入が、7月22日で連続100日になった。中国は日本漁船の操業についても「中国の領海への侵入だ」と日本に抗議している。ふざけた話だが、軽視できない。次は「日本漁船の拿捕」を狙う可能性が高いからだ。<中略>「次は尖閣上陸を狙うのではないか」と思われるかも知れない。もちろん、その可能性は十分にある。だが、同僚コラムニストの高橋洋一さんは先の番組で「尖閣上陸の前に、日本漁船の拿捕があるのではないか」と指摘した。これは、いま思えば、さすがに「高橋さんの慧眼」だったと思う。なぜかと言えば、冒頭に紹介した中国の抗議は、共同通信が7月19日に配信した第1報で明らかになったからだ。高橋さんがYouTube番組で指摘したのは、その5日前の14日だ。高橋さんは中国の抗議を飛び越して、拿捕に至る結論を先に予測していた形になる。私も、抗議があったからには「次は日本漁船拿捕」とみる。中国が「尖閣周辺海域における日本漁船の操業は領海侵犯」と抗議して、日本が受け入れないのであれば、次に「領海侵犯を取り締まる」のは彼らの立場で当然であり、首尾一貫するからだ。むしろ、取り締まらなければ、彼らは辻褄が合わなくなる。実は、真実の順番は逆だろう。彼らは最初から「日本漁船の拿捕」を目標に据えたうえで、その準備段階として、日本政府に抗議してきた。そう見るべきだ。抗議は「拿捕のサイン」なのだ。高橋さんは同じYouTube番組の7月21日配信版で、私が「中国が日本漁船の領海侵犯を抗議してきたとなると、次は、あなたが前回言っていたように『漁船の拿捕』だろうね」と質問すると「当然だよ」と語った 拿捕なんてしたら戦闘になるだろ 奴らは非武装の「大量の民間人」が勝手にやってる形にして非対象戦で来る 引用元: ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! ・・・・石原昌家沖国大名誉教授の「サンフランシスコ講和条約」の条文の誤読と、これに関連して「天皇メッセージ」についての無知を指摘したが、言葉が足りない面もあったので、本日のエントリーでサンフランシスコ講和条約の条文を例示し再度石原氏の誤読を指摘しておく。 ☆石原教授は歴史的事実を事実誤認しているため、それを前提とする同氏の「屈辱」が空しく空中分解してしまっている。 大学教授としては噴飯ものの評論でである。石原氏が「自治能力がある」と主張する琉球王国が、サンフランシスコ講和条約が結ばれた1951年当時でも果たして独立国として自立できたかどうかはさて措くとしても、沖縄を信託統治にするという話を持ち出したのは、当時既に沖縄を米軍統治下においていた米国であり、日本側ではない。>石原教授は沖縄が信託統治制度の下に置かれたことに、屈辱を感じたようだが、そもそも沖縄は米国の統治下にはあったが、信託統治制度の下におかれたことは歴史上一度たりともない。これは条文をよく読んでいない素人が犯す典型的な間違いである。念のためサンフランシスコ講和条約の該当条文を引用するとこうなる。確かに当該条文には「南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する」と明記されている。米国は沖縄侵攻当初から沖縄を「太平洋の要石(かなめいし)」と捉え、日本と沖縄を分断の上永久占領を目論んでいた。サンフランシスコ講和条約締結時の日米両国の力関係を言えば、米国は世界一の経済力と軍事力を誇る戦勝国であり、一方の日本は、首都東京をはじめ地方の各都市も空爆により焦土と化した軍備も持たない米軍占領下の敗戦国である。両者の力の差は歴然としており、仮に米国が条文に明記されているように、「(沖縄を)米国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におく」と提案したら、日本は否応なしに同意せざるを得なかった。 沖縄を信託統治にすればいずれは現在のグアムやプエルトリコのように米国の自治領に移行することは必至であった。ところが不思議なことに米国は、喉から手が出るほど領有を望んだ沖縄を信託統治にする提案はしなかった。したがって日本が沖縄の信託統治に同意することなかったし、当然沖縄が米国の信託統治の下におかれることもなかった。米国は沖縄を日本の主権を残したまま、統治権のみを継続したのだ。沖縄は米国の信託統治制度の下に置かれたことはない。これが歴史の事実であるその理由は何か。その裏には昭和天皇が発したと言われる「天皇メッセージ」の大きな影響力があった。当時日本の政治家の誰もが思いつかなかった沖縄を「日本の主権を残した(潜在主権の)ままリースにする」という「天皇メッセージ」こそが当時の日本として実行できる最善の策であった。日本の主権を残したまま米国に統治を委任することを、親子に例えると、子ども(沖縄)を育てる経済力のない親(日本)が金持ち(米国)に戸籍はそのままにし、一時里子に出したようなものであり、戸籍を移籍する養子縁組とは根本的に異なる。したがって米国統治下の沖縄人はあくまでも日本人であり、沖縄から祖国に日本の土を踏んだ沖縄人は通関で「パスポート」に「日本国への帰国を証明する」というスタンプを貰った。■本当に米国は信託統治の提案をしなかったのか。筆者のような何の肩書きもない者が大学教授の肩書きを持つ石原氏を無知蒙昧と批判したら、肩書きの偉そうな人物の言説を信じる向きもある。だが真実は肩書きで語るものではない。米軍統治下の沖縄の法的立場については保守系の論客の中にも誤解の多い論点なので、最近の国会質疑で岸田外務大臣が、共産党の赤嶺政賢議員の質問に答えた記録を引用する。 ☆どうやら赤嶺議員もサンフランシスコ講和条約を誤読したまま質問し、「沖縄を売り渡した」という論拠を作ろうとしてブーメランとなった印象である半世紀以上前の話。 筆者がまだ10代の紅顔の美少年?のころに出来事である。進学のため米軍占領下の沖縄を後にし祖国日本の出入国・通関に足を踏み入れたときのことを昨日のことのように思い出す。携行していた「パスポート(日本旅行証明書)」を通関に差し出したとき、審査官は学生服姿の筆者を見て微笑みながら声をかけてくれた。 「進学のため?」「はい、そうです」審査官は高校の制服制帽姿の少年に終始優しく対応した。審査官はパスポートにゴムスタンプを押し、それに署名しながらこういった。「しっかり勉強しなさいよ」「はい」口下手の少年は審査官の優しい対応と励ましの声に、心の中で「ありがとう」とつぶやいたが、それを口に出して言うことができなかった。後で、パスポートに押されたスタンプを見て、感動がこみ上げてきた。スタンプには「日本国への帰国を証明する」と記され審査官の署名がされていた。「日本国への入国」ではなく「帰国」という文字に感動したのだ。それまでの認識では米国の統治下にあるので、沖縄人は日本国民ではないのではないかという疑念を持っていたが、「沖縄の潜在主権は日本にある」とも聞かされていた。そのせいなのか、沖縄で戦後教育を受けた少年は、小学、中学、高校と文部省教科書で教育を受けていたが、そのことには何の矛盾も感じていなかった。少年は、「潜在主権」の意味がよく理解できないまま祖国日本に上陸し、通関手続きで「日本国への帰国を証明する」という審査官の署名つきスタンプを見て初めて「潜在主権」を身を持って実感したのであった。だが、その「潜在主権」という文言が、昭和天皇の「天皇親政」で生まれた「天皇メッセージ」の成果であることを、少年はその時知る由もなかった。 ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! 竹田 恒泰氏によると、核弾頭を持って敵地攻撃能力があっても攻撃さえしなかったら護憲の範囲。敵地攻撃などと言うが、最近のミサイル基地は移動するので、アメリカでさえ攻撃の的として捉えるのが困難という。ならば動かない標的〇峡ダムを攻撃する方が技術的に容易である。敵地攻撃能力とは「抑止力」であり、武士で言えば刀。鞘の中に納めておけば強力な抑止力だが、一旦鞘を抜くと「殿中でござる!」となり、身を亡ぼす場合もあるが・・・。敵地攻撃能力は、相手(中国)が攻撃してきたら、泣く泣く〇峡ダムを攻撃させていただく。 引用元: ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! ■世界日報 2020年7月22日 NDの創設期からの理事だった市民運動家・徳森りま氏。 ★以下に筆者が原告の訴訟など関連訴訟の日程をお知らせします。何れも、大変重要な裁判となっております。時間の許す方は、是非、傍聴してください■8月3日14時00分■8月26日10時30分■9月9日13時30分 ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! 写真:現代ビジネス 「緊急ニュースをお伝えします。先ほどアメリカ軍が、南シナ海に中国が建造した人工島を攻撃し、破壊した模様です……」 ニミッツ空母打撃群は、自由で開かれたインド太平洋を支援する「空母2隻作戦」と演習を実施する南シナ海に配備され、比類なき海軍力でもってアメリカの独立記念日を祝った。 高度に統合された訓練は、あらゆる領域の戦闘環境で、比類なき柔軟性、耐久性、機動性、そして火力を構築する。これらの取り組みは、国際法が許可するところなら世界のどこへでも、すべての国が航空、航海、および操業する権利に立ち向かうというアメリカの公約の永続をサポートするものだ。 空母攻撃部隊は、ニミッツとロナルド・レーガンで構成され、防空能力を最大化し、急速に進化する作戦地域での空母ベースの航空機による長距離精密海上攻撃の範囲を拡大するために設計されたいくつかの戦術演習を行った。 防空演習と攻撃演習中、ニミッツとレーガンの航空機は、敵の攻撃を想定して、脅威を検出、傍受、関与する能力をテストする。演習では、パイロットの習熟度を高めながら、現実的な環境での防御を調整する実践的な経験を、船上の戦術スタッフに提供する。 ロナルド・レーガン空母打撃群は、アメリカ海軍で唯一の前方配備(アメリカ本土以外を母港とする)攻撃群であり、アメリカ海軍の可視的抑止の象徴の一つだ。ニミッツとレーガンは世界で最も効果的で機敏な戦闘力を発揮し、地域の同盟国や友好国との相互防衛協定に対するアメリカの取り組みを支援し、平和と繁栄を促進するものだ 〉 続いて、3日後の7日にアメリカ海軍が発表した「レーガン、ニミッツは自由で開かれたインド太平洋への比類なき関与を示す」。 〈 ニミッツとロナルド・レーガン空母打撃群は、7月6日現在、南シナ海で「空母2隻作戦」を実施中だ。全領域環境での戦闘準備と能力を強化するために、いくつかの演習と運用を行った。統合された作戦には、防空演習、戦術操縦訓練、想定される長距離海上攻撃シナリオ、および戦闘準備と海上優位性を維持するための空中および水上演習の調整が含まれた。 「レーガンを派遣した目的は『力による平和』だ」と、ロナルド・レーガンの指揮官であるパット・ハンニフィン大佐は言う。「われわれは同盟国とともに、自由で開かれたインド太平洋に力を注ぐ」 空母2隻での運用は、特に航空領域において、到達距離、電力予測、および運用の継続性を向上させる。毎日何百機もの航空機を発着させ、24時間連続で稼働させた。攻撃部隊は、航空優位性の範囲を拡大し、地域全体でより優れた安全を提供することに成功した。 ニミッツ空母打撃群は、6月17日に第7艦隊エリアに到着した。「われわれの活動は、国際法によって保証される海域と空域の権利、自由、合法的な使用を強化するものだ」と、空母ニミッツ第17空母航空団の司令官であるトッド・シミカータ大佐は語った 〉 この2隻の空母打撃群による南シナ海での大規模な演習は、7月上旬に終わったと思いきや、中旬になって再び開始された。 同じくアメリカ海軍の7月16日の発表「ロナルド・レーガン空母打撃群は南シナ海で高度なサポートを提供する」。 〈 ロナルド・レーガン空母打撃群は、7月17日現在、自由で開かれたインド太平洋を支援する南シナ海での作戦を継続中だ。その間、インド太平洋の同盟国や友好国との相互防衛協定に基づいた、応答性が高く、柔軟で永続的な関与を維持する高度な演習と運用を行っている。 ニミッツ空母打撃群と協力して、戦術防空演習を実施することにより、戦闘の準備と習熟を維持することができた。これらの統合された演習は、地域の緊急事態に対応する海軍の能力を向上させるものだ。 アメリカ海軍は、自由で開かれたインド太平洋を支援し、各国が国家の主権を犠牲にすることなくその能力を発揮できる、国際ルールに基づく秩序を促進するために、統合的な攻撃群作戦を、定期的に実施していく 〉 さらに、翌17日のアメリカ海軍の発表「ニミッツ、レーガンは同盟国や友好国とともに南シナ海で立ちはだかる」。 〈 アメリカ海軍第7艦隊司令官のビル・メルツ副提督は語った。 「理念を同じくする地域の友好国とともに、国際法が許す場所ならどこでも機動させ、アメリカの直接的なサポートによって航空、航海の解決を図っていく。わが海軍の能力と柔軟性は、インド太平洋の安全と安定をすべて網羅するものだ。われわれの地域への関与以上によい例はない。われわれは定期的に、第7艦隊に複数のチームを集め、大規模な協調作戦を訓練していく」 ニミッツとレーガンは、世界で最も効果的で機敏な戦闘部隊の一つであり、地域の同盟国と友好国の相互防御体制に対するアメリカの関与を支持するものだ 〉 海自最大の護衛艦「いずも」 英国の対中強硬姿勢が明らかになった。中国が中英共同宣言(1984年)を無視して、香港に「国家安全維持法(国安法)」を施行したうえ、新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)の責任を無視して軍事的覇権拡大を進めていることを受けて、最新鋭空母「自由主義と全体主義が対峙(たいじ)するなか、世界を支配した「大英帝国のプライド」を誇示するのか。 ボリス・ジョンソン英首相は今月初め、統治時代に香港市民に発行した「英国海外市民(BNO)旅券」の保有者を対象に、英市民権を付与する道筋をつける意向を表明した。 英政府は14日、第5世代(5G)移動通信システムから中国通信機器大手「華為技術(ファーウェイ)」を排除する方針を発表した。一時は同社製品の限定的活用を容認していたが、方針転換した。 さらに、英国メディアは最近、中国による「英国の政財官界工作」を暴いたり、コロナウイルスと「武漢ウイルス研究所の闇」に迫るようなスクープ報道を連発している。 「大英帝国のプライド」を踏みにじった共産党独裁国家に対する、「怒り」を感じさせる動きといえる。ただ、最盛期に世界の4分の1を支配した大英帝国流の思考は、それほど単純でもなさそうだ。 国際政治学者の11月の米大統領選で、ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! ★ ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! 我那覇真子のシリーズ12による「1対1公開討論」の要請に対し、水島社長は17月15日の動画で「内容証明でも出して裁判でもすればよい」などと捨て台詞を残し、事実上1対1の討論を拒否し、あくまで3対3の討論に拘った。これに対し我那覇真子がシリーズ13で最後通牒を思わせる「1対1討論」を要請してきた。我那覇真子は水島社長が尊敬する南洲翁を引用。「南洲翁は一対一の討論拒否を許さない」水島社長の事実誤認(嘘)に対しては、水島聡CH桜社長と我那覇真子の1対1公開討論の話題が、保守同士の分裂として、全国的話題になってきている。「保守分裂」の話題に便乗商法のサイトが多数散見されるがそのほとんどは、概ね半知半解で頓珍漢なコメントが多い。そんな中、下記サイトは水島対我那覇真子の公開討論に関して比較的客観的に時系列で述べているので参考になる。ただ現実は、水島社長が拘る依田啓示や手登根氏の参加に関しては、両者が大喧嘩の真っ最中で手登根氏が依田啓示の恫喝に怯え逃げ回る状況。誰が考えても「3対3討論」は実現不可能である。↓ ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! かつて民進党の辻元清美議員は、鈴木宗男議員への国会質疑で、「 @@ ★ ★ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! 軍事評論家の鍛冶俊樹氏が「水島vs我那覇討論」に「火に油」の動画を立ち上げたが、今回、ますます「火に油」を注いで、こんな動画を立ち上げた。CH桜の水島社社長と我那覇真子の公開討論は、結局水島社長が「法廷で決めろ」の捨て台詞を残して、敵前逃亡をした。これが現在の状況である。鍛冶氏は水島社長に「慰安婦暴言を謝罪せよ」と迫っている。 ★過去ブログを引用して、これまでの経緯をもう一度繰り返す。(既読の方はスルーを・・・) 我那覇真子の1対1の討論申し立て(シリーズ12)に対し、水島社長は【水島・依田・手登根】対【我那覇親子・江崎】の3対3の討論にすり変えた。しかし、水島社長の摩り替え提案は、実現不可能である。理由は依田啓示と手登根氏が大喧嘩の真っ最中で、手登根氏は依田の恫喝により身の安全を考えて法的対処をするという間柄だ。こんな状況で3対3の討論など時間の無駄どころか、討論自体が成立しない。そこで、我那覇真子から改めて、水島社長対我那覇真子の1対1の討論の申し出をした。(シリーズ12)それに対する水島社長の回答が下記動画だ。【緊急報告】我那覇グループに応える[桜R2/7/15]結局、水島社長は言論による我那覇真子との1対1の討論を避け、次のような捨て台詞で敵前逃亡をした。 言論による討論が得意と自称する水島社長が、自ら言論による討論を放棄し敵前逃亡した瞬間である。さらに水島社長はあくまでも依田・手登根氏の同席に拘り、次のようにも述べている。「それより、そもそもの依田手登根にまつわる疑惑を事実を明らかにしながら議論をしよう」これではカナン基金疑惑に関して自分は第三者的立場であることを言いたいのだろうか。そういえば手登根氏も自分が扇動したカナン基金疑惑に関し、「自分はカナン基金の役員ではないから、疑問があればカナン基金に聞け」などと責任逃れをしていた。カナン基金で仲違いが生じた状況で3対3の討論を提案すること自体が、水島社長が最初から1対1の討論などする気が無かった何よりの証明である。■水島社長の嘘それに上記動画のなかで筆者(江崎)に関しても、水島社長を嘘をついていた。水島氏は「江崎は、自分で番組を辞めたのだから、これは仕方がない」と言っていた。ここまでは正しい。確かに筆者は自ら辞めた。だが、続けて水島氏は「江崎が番組内で依田批判をする」と言ったので、それを阻止したら「(江崎が)言論封殺だ」と言って自ら辞めた・・・と言った。これは真っ赤な嘘である。筆者はあの夜、水島氏と電話で喧嘩別れした時、こう言った。「番組内で依田批判するわけではない」「(先の我那覇VS依田討論会で)事実誤認があるので、それを正すだけの事実確認であり、依田批判ではない」事実誤認とは、我那覇VS依田討論会で我那覇側は一方的にルール破りをして大人数で押し掛けた、というもの。更に事実確認とは、何度も繰り返すが我那覇真子が「父親、妹、江崎の3人は問題のFM21に出演した当事者であるため傍聴人として出席させてほしい」と水島社長の了解を得て傍聴したのであり、ルール破りではない、・・・という事実の確認であった。ルール破りでない証拠はこれだ。当日筆者がチャンネル桜沖縄に到着した時、すでに水島社長と依田啓示は現場で待機していた。筆者がCH桜沖縄の事務所に入った時、水島・依田のご両人は筆者を見ても一言も「ルール違反」などと言わず、筆者の傍聴を黙認していた。話題を戻そう。水島社長は、江崎がCH桜を辞めた理由に関し、「江崎が番組で依田批判するのを阻止したから」などと述べているが、繰り返すがこれは真っ赤な嘘である。これには我那覇真子の他に証人が二人いる。筆者が水島社長で電話で口論し番組降板を告げたとき、その一部始終を聞いていたCH桜沖縄のスタッフ・N君とI君の二人だ。もっともこの両君、水島社長の意見には絶対服従の辛い立場。水島社長に不利な証言をするのは苦しいだろうが・・・。 ★ ■7月18日現在のCH桜沖縄の映像以下は読者提供による7月18日PM5時30分ごろの依田啓二事務所の写真。 ■Ch桜沖縄は依田啓示事務所から無償で提供?以下は筆者の感想だが、CH桜沖縄(水島氏)の一番の弱点はお金の問題。あれだけCH桜沖縄全社で県議選に立候補した依田啓示を支援したておきながら、依田が落選・逮捕されると、CH桜沖縄の支援動画を削除し、一言の釈明も謝罪もない。にも拘らず、上記写真で自明の通り、正面に掲げた依田啓示選挙事務所の看板は白く塗りつぶしてあるが、依然として「依田啓示チャンネル」や「依田氏の顔写真」の看板は残したままである。これでは、依田啓示が「新事務所」の借り手になり、CH桜沖縄に無償で提供した、と考えざるを得ない。【追記】水島社長は、7月15日の動画で依田啓示のことを当初「依田クン」と呼んでいたが、途中から「依田さん」などと「さん」付で呼んでいた。この期に及んで依田啓示を「依田サン」と呼ぶ理由は何か。CH桜沖縄の新事務所を無償で提供してもらっているとしたら納得できる。 ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! sssp://img.5ch.net/ico/2hikky.gif は? イaアアアア 日本人向けのNHKサービスはN 日本人 わかりやすい反日だな 引用元: 中国から受信料取れよ。これは、NHKにCの法則が発動するかもな。なめとんか?見てなくても、TV持ってたり、ワンセグ携帯持ってたりでの徴取までは、共産広報部はさっさとつぶしてどうぞ。この製作費用分値下げすべし。これは受信料を払っている側としてはクレームしたい。 ランキングに参加中。クリックして応援お願いします! 昨日は那覇地裁で行なわれたデニー・りま談合疑惑糾弾訴訟の第2回口頭弁論に多数の支援者が傍聴していただきました。この場を借りて感謝申し上げます。午前11時半に開廷し、原告・被告の準備書面等の交換に時間を費やしたため、原告・被告の両代理人が丁々発止と弁論で闘う場面は見られなかった。だが、被告側準備書面には「肉を切らせて骨を断つ」(徳永弁護士談)という被告弁護団の意図がヒシヒシと感じ取られ、第三回口頭弁論のクライマックスを迎え、嵐の前の静けさを感じるある意味緊迫した20数分であった。今回の訴訟は、6月の県議会選挙により、保革の差が縮まり野党・自民党の県議会での質問攻勢と連動して行われる。アナウンサー出身の川松都議の解説は非常に分かりやすいので、複雑に絡み合った本訴訟を復習するため是非ご覧ください。第二回口頭弁論がの終了後、原告の平安座さん、江崎そして徳永弁護士が市内某所に集結。徳永弁護士による解説録画を収録した。(数日以内に公開の予定)冒頭で述べた相手方弁護団の「肉を切らせて骨を断つ作戦」と言う意味は、こうだ。先ず今般のデニーりま談合糾弾訴訟(以後本訴訟)で、原告は、「ところがデニー知事の脇が甘い言動により、本訴訟は原告側が突っ込みどころ満載の状況。そこで、原告側は知事の違法性を100%擁護するのは難しいと判断。知事の違法性の大部分は認めるが、それによって県費の浪費は生じていない、と主張する戦略だ。つまり知事の違法行為を認めるが、これは県の担当者の指示であり、その結果デニー知事の言動に違法性はあっても県費の乱用は生じていないというもの。結果的にデニー知事の県費の乱用が認められないのなら県側が肉を切らせて(知事の違法性は認め)県費の乱用は生じていない。(骨を断って、勝訴する)勿論、原告側代理人は敵の作戦をいち早く見破り、金額の多少に関わらず県費の乱用が見つけ、一気にデニー知事を追い詰め勝訴を勝ち取る作戦である。つまり被告側の肉も骨も同時に一刀両断する戦略だ。デニー知事は、6月末以降行方不明とされる重要参考人の徳森リマ氏とは連絡を取っていないと言っていた。ところが知事は、徳森りま氏が金城リンダの名前で講演をする有料サイトに祝賀メッセージをおくるなど、次々と新しい疑惑が浮上している。本裁判のクライマックスと見られる第三回口頭弁論は、次ぎの日程。9月16日午前11時30分 那覇地裁皆様の傍聴をお願いいたします。 ★ ★ ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
遠距離恋愛 アプリ 海外, No Longer 意味, 長崎の鐘 作詞 作曲, Thank You, Next 歌詞 カタカナ, 遠距離 彼氏 電話 冷たい, ピコモンテ スティックファンデーション 口コミ,