世界史 宗教 まとめ

勉強ノート公開サービス。30万冊を超える大学生、高校生、中学生のノートをみることができます。テストの対策、受験時の勉強、授業で分からないことを解決。自分のノートを公開することもできます。 世界の宗教人口ランキングの1位はキリスト教で、アメリカをはじめ世界中に広まっています。2位はイスラム教で中東だけでなくインドにも信者が多いです。3位は仏教でもヒンズー教でもなく、日本や中国で多数派の「無宗教」です。 Copyright© 歴史まとめ.net > 世界史 > 宗教 アラブ世界で生まれたイスラム教 西暦610年ごろ、商業が盛んになったアラビア半島で、預言者ムハンマドがイスラム教を唱える。 歴史・科学・教育のオモしろくてタメになる話。 世界の一体化⑥ 中心がいくつもある世界へ ―この時代には、ソ連がすすめてきた社会主義の国づくりが崩壊し、ソ連グループ自体も「解散」を迎 … 政教分離という用語を聞いたことがあるでしょうか?現代の民主主義の政治を保つために、提唱、実行されている原理です。実は世界の政治問題を考えていく上で、政教分離の知識は欠かせないのです。 歴 …

これら宗教の本質について、非信徒の立場から客観的にわかりやすくまとめているものがあまりに少ない。そこで自分でまとめることにしました。キリスト教・イスラーム教・仏教という世界三大宗教の本質的な教えとは何か?それぞれに分派がたくさんあるけども、どの宗派にも共通するような「これだ」という特徴は何か?2回にわたり、かんたんにまとめたのでどうぞ。→目次カレル橋の十字架像(チェコ・プラハ)この主張が、キリスト教の本質的な教えです。そしてこのこの2点こそが、おなじ一神教であるユダヤ教やイスラーム教とのいちばんの違いなんです。 キリスト教はユダヤ教の伝統のなかから生まれました。イエスがユダヤ人であり、またイエス自身はキリスト教の創始者ではなくユダヤ教の改革者であったことからも、そう言えます。(このあたり詳しい話は以下の記事参照) よって、キリスト教の世界認識はユダヤ教の内容をほぼそのまま受け継いでいます。キリスト教では特に5を「罪深い者は地獄に、罪なき者は天国に」と解釈します。 このような世界認識のもとで生きている人にとっての、いちばんの関心事。じゃないと、最後の審判のときに地獄で永遠に苦しむことになるから。(ここでいう罪とは、怒ったり嫉妬したりといった人間すべてが犯さざるをえない罪、または生まれたときから人間すべてがもっている原罪のこと。だから罪を犯さないのは不可能です)。 ユダヤ教の場合は、律法を守ることや生贄をささげることなどで、贖罪を目指します。またイスラーム教の場合も、いろんな教えを守ること、そして神に絶対的に服従することで、罪の回避を目指します。しかし、キリスト教における贖罪の論理は、これらと違います。  イエスは十字架上で処刑され、3日後に復活した。この「事実」が福音書はじめいろんなところで繰り返し強調されるのは、「われわれの贖罪は果たされている」と主張するためです。これがキリスト教における救いの論理なんです。 したがって、ユダヤ教やイスラーム教とちがい、キリスト教には細かい決まり事がありません。「罪はもう許されている」ので、ただただイエスが救世主であると信じることがいちばん重要です。ここまでが、どの宗派にも共通するキリスト教の本質です。ただ、これだけでは個人の信仰に留まり、宗教団体を構成することにつながりません。そこで、イエスをキリストと信じるならイエスの生前の言行も信じて実践しなさい、というふうになり、教会が組織されていきました。また、イエスの言行録である福音書がまとめられ、使徒の言葉などもあわせて「新約聖書」となりました。そして、組織が拡大するにつれて救いの論理(教理)も厳密化されていき、それがいろんな宗派を生んでいくのです。 まず、救世主であるイエスとは何者かという問題。ただの人間ではないという認識はどこも共通ですが、こまかい認識で宗派が分かれました(ニケーア公会議、325年)。「イエスもまた神の被造物」という立場が「イエスは神と同一である」という立場が 三位一体説(神とキリストと聖霊は3つでありながら1つである)のなかでも、キリストの神性と人性についてさらにこまかい議論がされました(カルケドン公会議、451年)。結果、「両性はともに完全でしかも唯一の人格に共存している」という説が採られます。これに反対して分離したのが中国に行って景教と呼ばれた後者はいま、旧エルサレム市街をキリスト地区・ムスリム地区・ユダヤ地区とともに4分割しています。旧エルサレム市街図。右下は「神殿の丘」  次に、フィリオクェ問題。これは聖霊が神から出るのか、それとも神とキリストから出るのかという問題です。このフィリオクェ問題に聖像使用問題や典礼のちがい、なによりローマ帝国分裂と西ローマ滅亡後の政治・社会・文化のちがいが合わさって、ヨーロッパの教会は東西に分裂しました(相互破門が1054年)。東が西が そして、カトリックにたいする16世紀の宗教改革。これは教理の問題というより、宗教共同体である教会という組織・制度における対立です。ローマ教皇の権威と聖職者の特権を否定し(=万人祭司主義)、聖書があれば個々人の信仰にとって十分だ(=福音主義)とする立場はキリスト教諸教派の成立の概略を表す樹形図 またイギリスでは、当時の国王ヘンリ8世が愛人と再婚したくてカトリックと対立し、国教会となりました。現在はこのイギリス国教会に満足できなくて分離していったのが、16世紀の3つともプロテスタントに分類され、このうちピューリタンはイギリス革命を主導、またアメリカに渡った者もいました。ちなみに現在アメリカのプロテスタント中、もっとも信者数の多いのがバプテスト教会とメソジストです。このほかにも今日、プロテスタントだけでも実にいろんな宗派に分かれています。主要なプロテスタントの樹形図 以上のように、キリスト教にはたくさんの宗派(教派)がありますが、どの教派も本質は変わりません。この教えが、キリスト教をしてキリスト教たらしめている本質なのです。 カアバ神殿の黒曜石(サウジアラビア・メッカ)この主張が、イスラーム教の本質的な教えです。そもそも「イスラーム」という言葉の意味は「引き渡し」。つまり自分の人格を神(アッラー)にすっかり引き渡して、すべて相手の意のままに委ね、服従することを指します。こうした神と人との絶対的な主従関係、そしてその積極的な表明こそが、どの派にも共通するイスラーム教の特徴なんです。 これは創始者ムハンマドの生きた6-7世紀のアラブに、ユダヤ教徒やキリスト教徒のコミュニティが多数存在したためです。ムハンマド自身、この2教徒を「啓典の民」としてイスラームに先立つものと位置づけています。しかしムハンマドは、これらユダヤ教とキリスト教を「本来の神の教えから離れている」と批判し、独自の認識を打ち出しました。 キリスト教には「原罪」という概念がありますが、イスラーム教にはありません。罪とは生まれながらに持つ性質でなく、逃れられない宿命でもなく、もっぱら悪い行いという意味で用いられます。よって行為を重視するという意味では、むしろユダヤ教に近い考え方です。ただイスラーム教では人間とは基本的に不道徳で自堕落で、絶対的な強制力がはたらかないとすぐ悪いことをする存在だとされます。 キリスト教では神の愛がよく語られますが、イスラーム教では愛情深いと同時にひどく厳格で倫理的な神を想定します。だからアッラーはクルアーンをとおして、何が良くて何が悪い行いかを細部にわたって教えてくれますが、同時に、最後の審判時には厳粛な裁判官となり、あわれな被告である我々を裁きます。そして罪ある者には恐ろしい地獄が待っています。 このような世界認識に立つと、罪を犯さないことが何より重要になりますが、しかし人間にそんなことはできません。なぜなら人は基本的にどこまでも享楽的で、わがままで、欲望の追求に限りがないからです。これがイスラームにおける救済の論理になります。  ムスリムはこの章句を、日に5回の礼拝のたびに唱えます。平伏低頭する際にはあわせて「アッラーは偉大なり」ともくりかえします。こうした礼拝のほか、信仰告白・喜捨・断食・巡礼の「五行」は、どの宗派のムスリムも実践しています。「ムスリム」とは自分を神にすっかり引き渡した人。名詞「イスラーム」の形容詞形。こうした実践はすべて、唯一の主人に従い唯一の主人の命令を忠実におこなっていることの表明です。なぜならもし主人に従わず、自分のことは自分の勝手とやりだしたら、愚かな人間はたちまち罪を犯してしまいます。これがイスラーム教における救いの論理なんです。そして同時に、自分が神の忠実な奴隷であることを日々表明し日々追求していくという実践こそがまた、重視されるのです。  ところで、イスラーム教はキリスト教とちがって、その誕生時から政治と一体でした。なぜなら、ムハンマドは存命中に彼の支持団体を率いてメディナを統治し、メッカを征服し、アラビア半島を支配することに成功したからです。この点、生前に政治的成功を何も果たせなかったよってムハンマドの死後、この政教一致の国家規模の集団(=イスラーム共同体、ウンマ)をどう統治していくかが問題になりました。こうした共同体のあり方をめぐる対立から、シーア派とは、シーア派の系統 シーア派のなかでも、歴代イマームの分裂によってさらに分派が形成されました。たとえば五代目イマーム時に分かれたまた、七代目イマーム時に分かれたそして最大派閥であるイラン第2代最高指導者アリー=ハーメネイー 一方、シーア派にたいする多数派はスンナ派の由来は、正統カリフ→ウマイヤ朝→アッバース朝という時代時代の多数派からシーア派などが分離した際、かれら少数派に対抗するために自称されたものです。ようするにスンナ派=多数派です。スンナ派という名称は、預言者ムハンマドの言動によって規定される聖なる慣行(スンナ)からきています。ここからわかるとおり、スンナ派では、クルアーンの教えとスンナから導き出される法体系(= イスラーム法を解釈するのは法学者たちですが、この解釈のちがいによって9世紀頃までに大きく四学派に分かれました(学派の名称はそれぞれ始めた法学者の名前)。スンナ派諸学派およびシーア派諸宗派の分布 シーア派もスンナ派も、近代以降、そのイスラーム法は欧米列強の植民地支配のもとでかなり限定されました。つまり刑事・民事・商事の分野で実際に適用される法はほとんど、ヨーロッパ式の世俗法になったのです。これに反発し、イスラーム法を共同体統治の中心に回帰させようとする動きが、近現代にまたいくつものグループを生みます。18世紀にはハンバル派の影響を受けたまた1928年にはエジプトでちなみにパレスチナの こうした原点回帰運動に、積極的な武力行使を伴ったグループがいわゆる過激派です。 以上のように、イスラーム教もまたたくさんの宗派に分かれますが、やはり本質は変わりません。この教えが、イスラーム教をしてイスラーム教たらしめている本質なんです。 続き(仏教の本質)は次回。→

重悟のブログ , これら宗教の本質について、非信徒の立場から客観的にわかりやすくまとめているものがあまりに少ない。 そこで自分でまとめることにしました。 キリスト教・イスラーム教・仏教という世界三大宗教の本質的な教えとは何か? ゼロからはじめる世界史のまとめ㉖ 1979年~現在の世界. 解説/桜木建二「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。ライター/万嶋せら会社員を経て、現在はイギリスで大学院に在籍中のライター。歴史が好きで関連書籍をよく読み、中でも近代以降の歴史と古典文学系が得意。歴史を紐解くうえでの前提知識となる宗教についても知見があり、今回は「世界三大宗教」について解説する。実は、世界三大宗教と言うのは日本で使われる用語です。英語圏などでこれに該当する概念はありません。代わりに「五大宗教」と言われることがありますが、これは一般的にキリスト教・イスラム教・仏教にそもそも宗教とは、神や自然を超越した観念を中心とした教義への信仰心やそれに伴う社会習慣、文化、制度、儀式などのことを表しています。しかし宗教の定義は難しく、明確な定義はありません。なぜ、世界史で宗教を学ぶ必要があるのでしょうか。それは、また世界には、宗教が政治の重要な役割を占めていたり日常生活に非常に大きな影響力を持っていたりする国も少なからずあります。日本に住んでいるとあまり実感がわかないかもしれませんね。けれど、人類は宗教と共に暮らしてきたんだな。世界三大宗教は、キリスト教とイスラム教と仏教のことか。どれも有名だが、それぞれどんな宗教なんだ?安定した金融機関での職を手放し、自分らしい生き方を模索中のライター。現在は執筆や翻訳中心に活動中。歴史が好きで、特に近代以降の世界史と古典文学系が得意。グローバルな視点を大切に、プラスワンの情報をお届けします。おすすめの記事Related Posts 世界三大宗教についてまとめました。 シールはダブルタップではがせます☺️ 見ていただきありがとうございます 学年: 中学1年生, 単元: 宗教, キーワード: 中1,地理,キリスト,イスラム,仏教,イスラーム,倫理,ジオグラフィー,geography

世界史や日本史の受験勉強で、自分なりにまとめノートを作るということもあるかと思いますが、効果的に利用しないと意味がありません。メリット・デメリットを考えつつ、果たしてまとめノートを作るべきなのか、作るとしたらどんなものが良いのかをご紹介します。 2020 All Rights Reserved. よぉ、桜木建二だ。宗教のことはどれくらい知っている?日本に住んでいると、宗教を身近に感じることはそれほど多くないよな。だが、教養として知っておいて損はない。まずは世界三大宗教について学ぶところから始めてみようか。 世界史に詳しいライター万嶋せらと一緒に解説していくぞ。

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